岐阜獄中記 ~アキバから岐阜へ~

アキバを離れ、陸の孤島「岐阜」に収監(就職)されたオタクの話

寛仁新王

牢獄には賭場は付き物である。それは囚人たちのほんのささやかな楽しみ。少ない稼ぎを増やそうと、種銭を握り賭場に走る。男たちは賭けの顛末に熱狂し、あるものは下を向いて、あるものは胸を張って帰っていく。

 

 投獄されてから新しい趣味が出来ました。競輪です。学生時代は賭け事はあまりしてきませんでした。何となく「よくないこと」と思い育ってきたので、パチンコも競馬もやっていませんでした。ありがとうお母さん・お父さん。

 

 しかし、あるとき気づいてしまいました。休日に暇で出かけていたら無駄にお金を使ってしまった、なんてことはよくある話です。食べ物を買ったり、買う予定の無い服や本を買ったり散財してしまう。けれども、時間は持てあましているので出かけたい。どこかお金をあまり使わないで外で遊べるところはないか、でたどり着いたのが競輪でした。ごめなさい、お母さん・お父さん。

 

 何で競輪にしたかというと近くに競輪場があったからです。だから、競馬や競艇の場外販売が競輪より近くにあったら変わっていたかもしれませんが理由はそれだけです。

 競輪をして初めて知りましたが、最低賭け額が100円であること。これなら小さい掛け金でも十分に遊べます。また、賭け事全般に云えますが「お金を失うかもしれない」「お金が倍になるかもしれない」というスリルがあるのでそこが楽しいです。

 暇そうなおじさん達に紛れて、20代の自分が混じっているのは目立ってしましますがおじさん達といっしょに画面に喰いつきながら一喜一憂しています。賭け方は、大体賭けレートを見て決めています。正直、「誰が強い」とか「この人が捲ってくる」とかはあんまりわかっていません。「この組合せ人気あるけど、レートが高いからこれにしよ」ぐらいで決めています。そんなこともあり、勝ったり負けたりで今は負け気味です。でもいいのです、暇つぶしに来ているのですから。

 

 といいつつ、最近掛け金が増えて負けも大きくなっています。が、券売機から札束が大量に出てくるのは何度見ても興奮するものです。あれは楽しい。あれのために、1万円券売機に入れる価値があります。これだけ、聞いているとパチンコと同じですね。ごめんなさい、お母ry

あと、競輪やってなきゃ寛仁新王とは一生無縁でした。ありがとう、脇本さん。

 

PS.ハルヒの再放送でエンドレスエイト初めてちゃんと見ているけど、毎話ちょっとずつちがうんですね。学生の頃、全部飛ばしてみた自分を殴りに行ってきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

金貨の行方

 労働の対価として支払われる金貨を貰う瞬間は何度やってもわくわくする。どうせ毎月ほぼ同じ額が入っているのだけなのに、その行為に一喜一憂し労働の喜びを味わう。手に入った金貨を眺めながら何に使おうか?と想像する。そんなときにヤツは現れる。取り立てるように入ったばかりの金貨を奪い去る。なんて酷い!誰が俺の金貨を奪うんだ!

 

 コロナの影響もあり、キャッシュレス化が進みクレジットカードやスマホ決済なんかがかなり普及しましたね。キャッシュレスって聞くとおしゃれ感が強いですけど、10年前ならクレジットカードなんかはしっかりとした収入のある社会人にしか持つことができませんでした。それだけ責任のあるカードだったはずなのに、主婦や学生も持てる時代になりました。

 

 今日同期の囚人と家電量販店に行きました。当初の目的は冬に備えて暖房器具の下見でした。あれこれ見ているうちに同期が見つけました。

 

同期の囚人「switch売ってんじゃん!」

 

 同期は前々からswitchが欲しいと話していなした。しかし、コロナ需要で品切れが相次ぎ店頭で買うことは困難でした。予約して買うことも可能でしたがそこまではしていませんでしたが、「あったら買う」と想い過ごしてきました。それを決めてから数か月、ついにswitchが店頭で売られていました。

 そんな同期の想いを知っていたので、私は同期に強く勧めました。「欲しいときに買うのが一番いいんだよ」と。オタク的経験であり、欲しいけど買うか悩む理由がお金であるなら買うべき。この教訓のおかげで何度幸せになれたか、この教訓を破り何度後悔してきたか。同期は想定していない買い物に悩んでいましたが、同期を説得し最後には買うことを決意しました。牢獄での労働はでは薄給あるけれども、32000円決して買えない金額では無い。買うことを決意した同期と買った後の夢を膨らませながら、ソフト選びをしました。そのとき同期とこんなやり取りをしました、

 

同期の囚人「switch買ったら今月赤字だな~」

私「前から欲しかったものだから、大丈夫だよ!」

同期「これで4か月連続で赤字だわ、まいっか」

私「え....」

同期「switchの支払いボーナスのタイミングだし大丈夫!」

私「」

 

 私に罪悪感が襲ってきた。4か月連続?それはさすがにまずいのでは?

話しを聞くとクレジットカード支払いを常にしており、支払いは後回しで給料日の数日後に引き落とされる。いくら使ったかは漠然としか把握していなかった。コロナで自粛していた感情があふれ、買い物でストレス発散していた。

 

 いまさら「あたなのお金のことを想い、買うのをやめましょう」とは云えなかった。同期はお金が理由で悩んでいたのにそれを唆したのが私。云えなかった。同期はswitchとソフトを買い幸せで満ちていた。その隣で罪悪感でいたたまれない私は心の中で、懺悔した。主よ私の罪を許してください....

 

PS.虹ヶ咲学園面白いです。サンライズ動き過ぎでビビる。

 

 

 

 

 

 

 

 

平積みされた本棚

堕ちる、堕ちていく。私を閉じ込める独房は雑然ともので埋まっていく。孤独誤魔化すため?幸福感を満たしたいため?本当はわかっている。気づいてしまったら戻れない。堕ちる、堕ちていく....

 

 投獄される前の実家では私個人の部屋はなかった。兄弟が多いため共用スペースしかない家で育った。そんなこともあり、「自分のものは自分の引き出しにしまう」が家族ルール。引き出しだけが個人のパーソナルスペース。共用スペースであるリビングの広さを保つために不可侵条約を結び、整理整頓を心掛けた。皆自分の与えられた領地で自我を養い、リビングでは共存共栄して生活を送っていた。

 

 服も本もアニメグッツも引き出しにしまえば誰も文句は言わなかった。しかし、オタクたるものものが増えるのは必然である。そのたびに、断捨離と引き出しの違法増築を繰り返し何とか20年やってきた。

 

 岐阜に投獄されて、最初に牢屋で感じたことは独房を持てたことの喜び。ワンルームの6畳半ばかしの部屋であるが、実家の引き出しと面積は比べ物にならない。好きな場所にものを置き、本を買ってもなかなか埋まらない本棚に感動し、自分だけの机に合理性を突き詰め必要な道具を取りそろえた。結果、もので部屋が埋まった。

 

 家族で暮らしていたころは、家族のために片づけるやスペースを活用するために収納を工夫する努力していたが、独房のため努力をせず、広大なスペースを贅沢に使い続けた。有限とも知らずに。抑圧されていた想いが解き放たれ、好き放題に建築を行い、整地や治水を怠ったため、融通が利くスペースはベットの上ぐらいなものである。

 

 自堕落な生活が定着してしまった。ものが増えるたびに即席で整地を行い、空いたスペースにものを置く。週末のたびにものが増え、狭い部屋で平日を過ごす。

 もう、あの広さには戻れない....

 

PS.秋アニメは豊作ですね。実りの秋に感謝。

 

 

 

 

 

 

田んぼの真ん中の穴

 大きく身を付けた稲穂は頭をたれ、風になびく。一面に広がる黄金色の田んぼ真ん中に穴が一つ。誰かが入った様子もない。周りの稲穂は無事なのにその一か所だけ稲穂が無残に潰されている。それは兄から教わった妖怪のお話。

 

 季節は秋になり、近くの田んぼは収穫真っ最中です。一面に広がる田んぼ畑は見ていて綺麗ですね。きっとおいしいお米だろうなと考えながら、昔話を思い出します。それはまだ、投獄される前の子供の頃の思い出。

 

 田んぼの真ん中にポツンと一か所、稲が潰れているとこがあるのを見たことはありませんか?誰かが踏み入った形跡もないのに、上から押し潰されたように倒れた稲穂。

 祖母の家で見かけた風景でした。どこの田んぼにも必ず一か所はある謎の空間。ミステリーサークルと云うには小さ過ぎる。当時小学生の私は、高校生の兄に聞いてみました。兄は教えてくれました。

 

「あれは妖怪、ダイブボンバーババアのしわざだよ」と

 

 男は稲を育てる農民百姓でした。お米を育てて、収穫したお米のうち決められた量を地主に収めます。残りのお米は来年育てる分と自分たちで食べる分です。夏のある日、自分の田んぼに行くと、真ん中のあたりが何かに踏みつぶされて稲穂が根本から倒れています。男は獣のしわざと思い、獣除けのために柵を立てました。

 翌日、また新しい場所が潰されており、男は疑問に思いました。獣や人が潰したのであるならば、真ん中ではなく道路の手前から道のように潰していくはず。風や雨であれば部分的ではなく、全体が潰されるはず。カラスや雀で稲穂は倒れても、根元から倒せる重量はない。

 男は原因を突き止めようと、夜中に自ら田んぼの中に入り身を潜めて待ち伏せてみました。深夜になり鳥の鳴き声も消え、月明かりだけが田んぼを照らします。

 すると、見知らぬ老婆が男の田んぼの周りをウロウロしていることに気が付きました。老婆は男の田んぼ見て、何かを探しているように見えました。男はいたずらをしようとしている犯人だと思い、声をかけようと立ち上がりました。そのとき、老婆は跳躍し、男めがけて大の字でボディプレスをしてきました。男は圧迫死し、稲穂と一緒に潰されてしまいました。

 

 これが田んぼの真ん中が潰れている真相だよと、兄は教えてくれました。幼い私は大ウケし、お気に入りのお伽噺になりました。もちろん信じていません。

 

 大人になり、投獄された岐阜でも田んぼを見るようになりました。田んぼの真ん中の穴を見るたびに「結局あれはどうやってできているのだろう?」と考えます。大人になっても答えを持ち合わせない私は、ダイブボンバーババアのせいなのだろうと懐かしく思うのでした。

 

PS.May'nさんの「キミシニタモウコトナカレ 」は名曲だなぁと思いながら

 

 

 

 

 

 

斎藤道山が憧れた那古野

岐阜城は三方を山に囲われた濃尾平野の奥にある天然の要塞である。複雑に絡んだ川が外敵の進行を阻害し、あの織田信長公も美濃攻略には苦労した。時は現代、要塞は牢獄と化した。

 

 岐阜市がある濃尾平野は養老山地・伊吹山地両白山地尾張丘陵の山々に囲われている。平野から抜けるためには名古屋方面に南下するか、米原・京都方面に西へ進むかのどちらかである。鉄道の話である。

 

 何もない岐阜から鉄道で脱獄するには名古屋方面か米原・京都方面の2択である。しかし、実質名古屋方面のみである。名古屋が近県で最も発達しており、近いからである。多くの県民が大きな街へ出かけるときは名古屋・栄方面のことを指す。ちなみに岐阜に大きな街はない。あるのはイオンだけある。イオンは街ではないのだ。

 

 もう一方の米原・京都方面の利用頻度は少ない。米原・京都方面と云えば聞こえはいいが、米原には何もない。ビックリするぐらい何もない。なんで新幹線が止まるのか疑問なぐらい何もない。何もないから米原の先、京都あるいは大阪の近畿エリアを目指す。岐阜羽島ですらデパートが隣接するのに米原はない。何か政治的癒着を感じるほど、何もない。

 

 ものを買いに街へ出かけるのは当然の行為である。豆腐を買うなら、豆腐屋。パンを買うならパン屋。本を買うならアニメイトである。しかし、そんなのは建前で街に遊びに行くのが本当の目的である。このご時世、ネットで何でも手に入るのに、わざわざ街に行き店頭でものを買うのは、街で遊びたいからである。大人も子供も考えは同じだ。

 しかし街の無い岐阜監獄は他県に行くしか無い。越境は気軽ではない。東京からさいたま新都心駅に行くのとは訳が違う。濃尾平野に暮らす住民でも1時間はかかるだろう。けっこうなお出かけなのである。朝から準備をして目的を持って出かける必要がある。

 

 私は昔のように「Twitterで新刊情報見て、アキバに何となく行く」ぐらいの感覚で名古屋には行けない。名古屋はそんなに気軽じゃないだ。そして以前話した通り、名古屋はアキバじゃない。悲しい悲しい現実である。

 

 美濃の斎藤道三は那古野を織田信長に阻まれさぞ苦労したことだろう。岐阜駅前にアニメイトを作ったのは那古野の街並みに憧れたからだと私は思う。そんな道三の功績を讃えて今日も岐阜駅前のアニメイトへ通う。

 

PS.キングダム59巻は激アツ展開ですね。秦の心配してたら趙の未来を心配してしまう。続きが気になります。

 

 

 

 

 

山からの越境は

ピンク色じゃない恋愛

 諦めるべき恋心は消し去ることはできず、未練しかない。それでも気づかないフリをして今日を過ごす。この気持ちはきっと彼を困らせてしまう。だから隠さなければいけないはずのこの想い。それでも、

 

 映画ギヴンを観てきました。とってもいい作品でした。ネタバレしない程度に感想を書かせてもらいます。書かねばならない使命感に囚われています。

 

 恋愛ものと云えば、ピンク色のイメージが強いと思います。少女漫画や恋愛小説の表紙やイラストにはほぼ使われていますね。絵やイラストにかかわらず、恋心=ピンクのイメージは共通認識ですね。完全に個人の感想ですが、映画ギヴンはピンク色のイメージは一切ありませんでした。こんなにピンク色の無い恋愛があるのか?と見終わった後は思いましたが、それなのにこんなにスッキリした気分の自分がいる。スッキリした自分がいる。

 

 「は?」と感じている方もいると思います。別に、「ピンク色=エロ」と云う隠語を使っている訳でもありません。未練だけで作った三角関係が話のメインであり、イチャイチャシーンとかは殆どありません。終始やきもきした感じが続きます。

 

 「じゃあ、何色なんだ」と云われたら、宣伝に引っ張られちゃっているかもしれませんが水色です。Twitterのロゴぐらいの水色。淡くもなく、暗くもなく、明るすぎない水色。ピッタリです。

 

 今まで、恋愛ものと云えば甘い砂糖漬けの王道展開しか偏食してこなかったので、この映画はすごい新鮮な気分で観れました。ライブシーンも鳥肌が立って感動しました。

 

 気になった方は是非、劇場まで。

 

PS.エンドロールで流れる主題歌が最高です。

 

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何色ですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雛見沢は実在する

そこは日本人のDNAに刻まれた原風景がそこにあった。ここに訪れたのは初めてなの

に、都会出身の私には縁も所縁もないはずのこの土地は何故だか懐かしく感じた。そんな幻想風景が目の前に実在していた

 

 投獄されてから1年ほどたったある日、天命が聞こえた。「そうだ、雛見沢へ行こう」

 

 あの作品との出会いは小学生のときである。マンガ版が身内でブームになり、みんなとで回し読みをしていた。今でこそスマホの普及で誰でもグロい映像やR15以上のマンガなんかを検索すればいくらでも出る時代になっているが、当時はそんなものもない。PCも比較的高価なもののため、子供が触る道具ではなかった。だから、マンガ版の描写を見て、「こんなマンガが世に出回っていいのか...」と幼い私には見てはいけない背徳感と高揚感が入り混じっていた。

 

 しかし、ちゃんと中身を全部読んだのは高専に入ってからのことである。星海社で新装版の小説が出たときに全巻購入して読んだ。1%しかたどりつけなかった謎に大声でツッコミを入れたくなる気分にはなったが、それでもあの絶望を乗り切れたときには興奮したものだ。

 

 話は戻って、天命を受けた私は早速車に乗り出発。高速代をケチったので下道4時間。雛見沢は実在していた。観光用に一部整備はされているものの、村として成り立っていた。どこの小道に入っても、THE日本の原風景であり見世物ではない生活感漂うその家々に感動した。アニメ版を見たわけではないので、「ここがあのシーンのやつ」とかはならなかったが、古手神社(白川八幡神社)の倉庫を見たときは写真を撮りまっくった。神社本体じゃなく、脇にある倉庫の写真を撮っている連中は9割オタクである。

 

 後日、出かけた出来事を刑務所の岐阜出身の受刑者に話したとき、事件は起きた。 

 

  私「週末、雛見沢行ってきたんですよね~」

 岐阜出身受刑者「それ、どこ?」

  私「」

 

 事故った。雛見沢は実在する場所であるが、実在しない。頭では分かっていたが、岐阜県民のくせに雛見沢の場所もわからないなんて...

 悔しくて、同期の東京出身の受刑者人に「雛見沢がどこにあるか?」を聞いたが誰も知らなかった。誰も知らなかった。白川郷がどこにあるか知っているのは一般教養なのに、どうして雛見沢がどこに実在するのかは一般教養でないのか。ここに投獄される前のアキバでは、少なくとも私の周りではこれは一般教養であったはずなのに。私はどうして自分がこの監獄に収監されているのかを自覚されられた気分になった。

 

PS.アニメが再リメイクされたのが放送しているので、一般教養を養ってください。刑務所がある東海地区では放送されてないみたいですが...